翻訳ときどき通訳 - きっかけは衝突安全のあの会社

結婚をした。見知らぬ土地だった。どこかで働きだしたら同年輩の友人が作れるかもしれない。仕事を探した。たまたま通訳・翻訳の仕事があった。応募した。でもそれは無謀だった。

 

どこが無謀かというと分野が自動車の衝突安全であったこと、しかも、東京生まれの東京育ちで車の運転など考えたことも無かったので、自動車の一つ一つの部位・部品名称が分からなかった。第一、私は通訳も翻訳も勉強したことは無かった。なんたる無謀。なんたる蛮行。

その後は必死。あらゆる機会をとらえて勉強をした。仕事に関係するあらゆる法規を読んだ。SAEペーパーも読んだ。実験場にも足を運んだ(ダミーちゃん達と運命の出会い)。関西弁も覚えた。ここが味噌(ぷぷぷ)。皆さんすらーっと関西弁を使うので東京弁に頭で変換しないと通訳できない。

「そのあわいにある」
「ほかしてもうて」


内線電話を3回聞いて何のことか分からず、変わってもらったことがあったっけ。